音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

たどり着くとそれはもう目標ではなくなる〜私はどこにいこうとしているんだろう。

たどり着くとそれはもう目標ではなくなる。

叶ったとたんに小さな目標になってしまう。そう感じることってありませんか?

私が小学生くらいのときには、大きなコンサートのステージに立つことが目標だった。

中学生、高校生と次第に大きなステージで演奏するようになり、2000人くらいのところでコンサートしたときに、やった!と思ったけど、その頃にはもうそれは目標ではなくなっていた。

演奏でテレビにでる、ということも、小学校5年のときに簡単にかなってしまい・・・。

CDにクレジットされること、や、テレビの画面のエンドロールに名前がでる、とか、いろいろ目標はあったけど、それも叶ってしまうと、「そんなもんかな〜」とあっけなく、以外と淡々と喜んでいる自分がいた。

タレントさんと身近に話す機会が多くなると、もちろんみなさん才能があるし、輝いているんだけど、でもごくごく普通の人でもある。一緒にいるのも当たり前になっていく。

でもまさか、自分が編曲にかかわった楽曲が、毎週毎週オリコンの上位にいるようになるとは、考えもしなかった。2〜3年続いたので、オリコン年間ランキング1位にもなってしまい、まちを歩いていると、かかわった曲を口ずさんでいる人がいたり、コンビニに入ると自分の曲がかかっていたり。

これすごくない?(オリコンランキング)

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こどもの小学校の運動会でも紅組の応援家が「恋のヘキサゴン」で、白組の応援歌が「羞恥心」という、両方の曲が自分のかかわった曲という状態。とてもうれしかった。
27時間テレビで27時間、ほぼかかわった楽曲が流れ続けたことは本当にうれしかった。実際、27時間起きてみてられなかったけど(あとで録画でみて)。

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(これらはすべて私の作品・・・でも一部だよ。)

それはどんな気持ちになるかというと、ふか〜〜く深呼吸して、やったーと静かに思う、そんな心がいっぱいになる感じで。

だから、音楽はやりきった感があるんだけど、でも、今はまた、別の夢を追いかけている・・・。

私の最終目標は「世界が平和になること」なんだよね。でっかすぎる??でも叶うと信じたいな。

それが叶ったときにもきっと、「そんなもんかな〜」って淡々と喜びたいんだ。それが当たり前のように。

芸能人健康保険に加入しています・・・。

はじめて医者にいく場合、私はちょっと恥ずかしいことがある。
それは、保険証に「東京芸能人健康保険組合」と書いてあることだ。
私が医者の受付にこの保険証を出す度、受付の方や新人看護士さんに、芸能人??この人誰だろう??芸名は??などと心の中で思っているかのように、やや観察されることになる。

この仕事を始めて、そこそこ順調になったころ、家を買うことを決め、あまり必要経費を取らないよう(つまり税金をたくさん納めてないとお金が借りられないので)に申告していたら、毎月の保険料がびっくりする程高くなった。
そんな話をとある有名なエンジニアにしていたら、東京芸能人健康保険組合をすすめられた。その当時は、芸能人である人の推薦がないと入れなかったので、推薦してもらい、登録したら、びっくりするほど保険料が下がった(当時4分の1くらい減った)のだ。なんで安くなったかというと、芸能関係の仕事って基本定年があまりなく、死ぬまで現役で稼いでいる人がいるからではないか?

今は、仕事を申告して「芸能関係」と認められれば入れるようになったと思う。
歴代の役員はこちらに・・・そうそうたる方達だ。

東京芸能人国民健康保険組合||東京芸能人国民健康保険組合歴代役員



芸能人といっても、ヘアメイクさんとか美術さんとか、照明さんとか、裏方の仕事も入ることができるので、けっこう幅はある。私は作編曲、キーボードプレイヤーだ。

で、年に1回、芸能人が使うであろう、薬のセットが送られてくる。のどを保護するスプレー、歯を白くする歯磨き、息をさわやかにするもの、などが頭痛薬や胃薬とともにはいっているセットなのだ。
 創立50周年記念のときに「東京芸能人健康保険組合」とはいった救急箱が送られてきたのでうちではそれを使っている(笑)

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会報もなかなかユニークなので、熟読している。タイトルも「芸能人」だ。

ということで、私は正真正銘の芸能人だということにしておこう。

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私の青春かも。つま恋で練習漬けだった日々

つま恋がなくなってしまう。

ある意味私の青春の場所だ。

バンドをやったり、スタジオミュージシャンの駆け出しだった10代の頃。私は合宿やレコーディングで「合歓の郷」や「つま恋」をつかった。

 どちらにも1バンドが練習できる五角形っぽいアンサンブル棟というのがあって、カーテンをあけると緑いっぱいの風景をみながら演奏できるし、カーテンをしめれば落ち着いた状態で演奏できた。
 どちらも24時間練習してもしかられない。防音もしてるし、なにしろまわりも全部アンサンブル棟だった。
 ストイックで何時間でも演奏していたかった私にとって、そこは天国だった。もう止めようと言われても一人で演奏し続けていた・・・そのくらい音楽だけに浸れる最高の場所だった。10代〜20代にそんなところにいけて、そんな風に過ごせたことは本当にすばらしい経験だったと思う。

 つま恋ポピュラーソングコンテストに出たとき、グランプリをとったのは、私がサポートしていたバンドではなく、完全無欠のロックンローラーを歌ったアラジンだった。私は高原君がうたうステージのかぶりつきで、ロックンロールを踊って盛り上げたんだよ。その高原君といまのいままでずっと一緒に仕事するとはその当時考えなかったな〜。高原くんこそ、羞恥心の作曲をして一躍売れっ子作家になった人。
同じときに出ていた山下弥生さんもインパクトすごかった。ポピュラーソングコンテストといえば、やはり関連アーティストを思い出す。
 ミスターロンサムをうたった、歌唱力抜群の柴田容子さんがFacebook友だちなのは私の自慢だ。そうそう山下弥生さんもFacebook友だち!!私が高校生のときポプコン中部大会のゲストコーナーがミュージカル仕立てになっていて私はその一部でエレクトーンで自分の曲を弾かせてもらった。八神純子さんも参加していて、大切な想い出だ。そのときの曲をいまも覚えている。
 そうさ、君はいきているのさ、その日の暮らしに追われているけど、それも幸せのうちさ〜〜♪という曲だった。
 
 私はときどき、ヤマハのコンサートに出演するために、上京したのだけど、そのときによく、目黒のヤマハ財団の本部のあるビルのヨコにある宿泊施設に泊まった。実はそこには、CP−80が置いてあって、よくツイストのキーボードの神本さんが練習していた。神本さんととなりの部屋になって、ときどきプリン食べる?って差し入れくれたり。
 部屋はクリスタルキングさんがよく泊まっているらしく、ホテルの部屋の引き出しにはファンからもらったと思われるプレゼントがはいっていたりした。
 私はそういうスターを間近にみて、いつか私もステージにでることを夢見ていたのだけど、実は名古屋でデザイン博がひらかれたときのゲストにクリスタルキングが出演したとき、バックバンドでなんと「大都会」のピアノをホンモノの人達のバックで演奏させてもらった。すごくいい想い出だ。
 とにかくなつかしい・・・。ずっとずっと音楽に浸って、私には音楽しかなかった日々だった。
 そんなひとつ、つま恋がなくなってしまう。なんとか無くなる前にいっておきたいけど。あのままそっとしておいたほうがいいのかな。。。。

私も出演した、22回は想い出いっぱい。
第22回 ポピュラーソングコンテスト - ヤマハ音楽振興会


いまポプコンの歴史も展示してるみたい・・・行きたい!1

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http://www.tsumagoi.net/popcon/

 

吹奏楽部の呪い

 子どもたちとまちづくりの活動をして、もう10年くらい経つ。

 うちの子どもは小学校に行く前から、私の団体の行う、落書き消しイベントとかキャンドルナイトなどのまちのイベントに参加してきたし、こどものまちの本家である、ドイツに小学生のときに一緒にいったりもした。中学は帰宅部で、高校は軽音学部。塾にも行かず、のんびりと過ごしてきた。私の仕事場である、レコーディングスタジオやテレビ局のスタジオに連れて行ったりと、親子の時間もたっぷりあったと思う。

だからどうしてもわからない・・・。

こどもたちが忙しすぎる、という実態。

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世界でいちばんのんびりみえる猫・・・



 朝はやく起きて学校に行き、一日中好きでも嫌いでも、ほぼイスに座って先生の話を聞き、勉強しなくてはならない。たくさん覚えることがあり、友だちと競争してテストに臨む。

 家に帰っても、塾、習い事などがあり、ほぼ毎日予定が埋まっている・・・。今日は水泳、明日はピアノ、それ以外は塾というように自分の家にいる時間さえ少ないこどもも多い。夕食もお弁当持たされて、家族はばらばらに食事をする状態らしい。
さらに、中学になると「部活動」が登場し、どういうわけか、スケジュールがなかなかでない上、ほぼ土日祝日、夏休み、冬休みが埋まってしまうのだ。

 私は、音楽で英才教育を受けていたので、そこそこ忙しくはあったものの、学校から帰ったら、ベットでごろごろしながら大好きな読書をしたり、友だちが呼べば、ボールが見えなくなるまで、公園や野原を駆け回ってくたくたになるまで遊んだ。
日曜は近所のこどもたちを集めて、冒険団を結成し、川遊びや、沼遊び、虫取りなどに出かけたものだ。
それが今の私を形成してる。虫たち、水の生き物たちが住めない環境を人間の勝手でつくっちゃいけないんだ!と強く思う自分もそこにルーツがある。

 さて、本題にもどろう。私はこどもたちをまちづくりに誘い込む、「ミニヨコハマシティ」「つづきジュニア編集局」「特命子ども地域アクター」「こども防災マイスター」などの多様な活動をしていていて、日々小学生から高校生までのこどもたちと接しているのだけど、小学生のときにあんなに時間があって、活動にきていたこどもが、受験(中学受験、高校受験、大学受験)で来なくなり・・・それはしかたがないのかなと思うのだけど、中学高校の部活動の種類によっては、ほぼこれなくなる・・・のだ。私たちはとくに自由参加の活動なので、来なくてもとくにとがめるわけじゃないからね。
 とくに顕著なのが私のリサーチでは、「吹奏楽部」だ!!なので私はそれを「吹奏楽部の呪い」と呼んでいる。吹奏楽部に入ったら、もう地域活動には出てこない、と思っていい。そのくらいすべて練習と大会出場で埋まってしまうのだ。私が音楽をやっているので気持ちはわからなくないが、そんなに練習していやにならないのかなと思うくらいだ。{私が思うの自由なのでいいでしょ?)


 部活動には賛否両論あるだろうけど、私は自分のこどもが中学に入ったはじめの学校説明会のとき、「ねえねえ、うちの子、どの部活にいれようかな」「受験のこと考えると○○部がいいよね」みたいな母親の会話を聞いて、心が折れたのだ。なんで、親がこどもの部活を検討してるの???おかしいだろ。その会話で私は「私はこどもがやりたいといったものを応援する」とまっとうすぎることを言ったのだけど、まったく無反応だった。
  吹奏楽部の呪い・・・その次には体育会系の部活の呪い・・・・いや、それはもしかしたら、まわりの大人からの呪いなのかも。

 こどもたち!! 自分の意思で生きる道を決めなよ! やりたいことをやって生きていこうね!!もちろんそれが部活動でもかまわないし,塾で勉強もいいと思う。自分で選んだものなら、自分で止めることもできるから。じっくり考えて、自分の道を選び取っていこう!!

NPO法人ミニシティ・プラス
ミニシティ・プラス公式サイト | きみがいないと この「まち」は はじまらない

 

NPO法人と企業の違いって?

 NPO法人と企業の違いってあるんだろうか?私は、本来、「その違いは無い」ことが理想と考えてます。私は「無い」といいたいと思います。

 企業だって何かを社会に提供している。
たとえば、仕事用の机をつくっている会社は、「この机を買ってくれた人が、自分の生活の中で快適にお仕事してくれたらいいな」と考えて、そのために努力して開発し、価格も抑えようとか、しているはず。もしもその会社が「まあ売れるから机でもつくるか」と適当にやっている机なんて使いたくないし、買いたくないですよね。そういう会社は自然になくなるのではないか?

 NPOは、社会に役立つことを行う「ソーシャルビジネスである」と私は思っている。ボランティアで行うことを目的にするなら、わざわざNPOにしなくても、サークル活動みたいな形態が適しているように思う。

 よく、NPOは利益をあげちゃいけないと、勘違いしている方がいるようだけれど、それは間違っている。ちゃんと利益をあげて赤字にならないようにし、その資金で、次なる新しい事業(社会課題)に取り組んでいくこと、それが理想なのではないかと。

 企業の歴史に比べて、NPOの歴史はまだまだ浅いけれど、うなぎ登りに増えている、そんな中で、採算もあい、活動した人たちにきちんと企業並みのお金を支払うことができ、生まれた資金で新しいことに取り組んでいける、そんなことができているNPOがどれほどいるだろうか?
最低賃金も払えていない状態で、常に寄付や助成金取りに奔走し、ぎりぎりの状態でやっているところが多いんじゃないかな。私のかかわるNPOもそういう状態。

 会社じゃないから、つぶれることはないのかもしれない。いざとなったら、みんな「無償で働く」くらいの気持ちがあるから。。。それでいいの???

 それでは、長続きしないんだよ!せっかく活動メンバーに入ってくれても、こどもの教育資金が足りなくてお仕事をしなくてはならない。NPOの給料だけれはやっていけない、とか、結婚することになる(あるいは離婚することになる)などの自分のライフスタイルがかわると、「お金の問題」でメンバーはかかわりを薄くするか、やめざるを得ない、もしも私たちのNPOが会社と同じくらいの給料が払えていたら、そんなことにはならないのに・・・。優秀なメンバーが泣く泣く居なくなってしまう。それが悲しい。

 だから私は、ちゃんと利益を出せるようなNPOでありたい。これが仕事です、といつになったら胸を張って言えるのか。一時的な委託事業があるときには、そうなっても、自主事業がないと、結局委託事業期間が終わると、不安定になってしまう。

 会社だったらとうにつぶれてるな・・・。

 これこそが社会問題じゃないか、と。
地域、社会をよくしたい、という気持ちが強くあり、一生懸命やっていても、お金にならない=社会的に認められてない、と考えざるを得ない。どうしてどうしてこんな風になってしまうのか。

 仕事を依頼する側にも、私たちうける側にも、対価をちゃんと考えて、仕事として行うという認識が必要なんだと、最近は代表としてそこをしっかりしなくては、と考え続けている。一生懸命働いてくれている仲間にちゃんとしたお金を支払いたい!!
それって当たり前のことで、利益を目指しているわけじゃないんです・・。

 行政からお願いされる仕事も、どうやらNPOだといくら、有識者(大学の先生)だといくら、それ以上(たとえば芸能人的な)なだいくらという基準があるようだけど、NPOの報酬低くない??
せめてNHKみたいに最初は安くても、キャリアであがっていくとかにしてほしい。
もう10年以上やってる・・・んです。

 企業だってNPOだって、社会に存在するものとして「理念」がある。。。だから形態は違っても、大きくみれば、社会にとっては、同じなんだと私は思うのです。同じように社会に貢献しているんだ、それを仕事にしているんだ、ということ。責任感も同じだ。

 どうしたらいいんだろう。

 私が大学でこの分野で博士をとれば、報酬が変わるの?
出した本が売れて、メディアに露出したり、知名度があがれば、報酬が変わるの?
このままでは、NPOのメンバーがいなくなってしまうのではないか(赤字、人件費削減などで)と本当にどうしたらいいのか、悩みはつきない。

 そういう中、NPOはボランティア組織なんでしょとか、少しでも安く使おうとか、利益をあげちゃいけない、とか、そういう話があると、いらっときてしまう。

 そもそも私がNPOを最初にスタートした理由は、社会的なことをちゃんとビジネスにして、組織としてやっていきたいとおもったから。

 私は自分のかかわるNPOを良い意味で企業化して、ちゃんとビジネスとしてやっていくことを目標にしている、ということを宣言させていただきます。

想いがあり、私がつくったNPOロゴ

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まさかの占いで起業「miss moon」した過去

 エアロビクスの音楽制作がプチ起業で成功したことは、以前書いたのだけど、その頃同時に、実は「占い」の起業をしたことがあった。

 当時、コーラスの仕事をしていた友人M。大物アイドルのバックコーラスの仕事をしていて、不思議な魅力のある美人だった。
 話をしていて、私は音楽の仕事(作編曲)に登り調子の可能性を感じていたのだけど、彼女はアイドルやアーティストさんのバックコーラスで、テレビやコンサートで歌い踊る、という仕事。「いつかは年をとったら、若くて美しい新しい人に変えられてしまうだろうから、この仕事をいつまで続けられるか不安」と言っていた。
 そんな中、彼女はものすごく占いに博学で、四柱推命ホロスコープの本をたくさん読んで、誕生日、生まれた時間などを聞いて、その人の可能性や将来について語るのだ。
 音楽の仕事は微妙に時間の「すきま」があることが多い。リハーサルが終わり、本番までの微妙な2時間ほどの休憩時間。着替えや化粧、楽譜の見直し、などもあるから、コンサート会場から外出できるほどでもない。そういうときに楽屋のおしゃべりの中で、彼女の占いが活躍した。ときには緻密な表やメモをつくってくれて、まわりの人達が次々に「自分も観て欲しい」といってくる。私は、これは仕事になるのではないか、と思った。

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星園瑠璃という名前でMが占った私のカルテ



 Mに「占いの仕事も両立されたらいいじゃん。私が営業と経理をやるから、なんかやってみようよ。絶対にうまくいくから」と、まったく何の根拠もないのに計画した。
 「MISS MOON ミス・ムーン」というすてきな名前を思いついて、それを商標とした。まずは印鑑をつくって、通信販売の占いをやろうということになった。1件5000円。気になる人との相性をプラスすると4000円プラスで9000円。生年月日だけを聞いて、四柱推命ホロスコープの両面から書いたカルテを渡すというもの。せっかく音楽やってるし、Mは歌い手なので、ふわふわした瞑想系の音楽をかけて、Mが12の星座の説明をするオリジナルカセットテープまでつけて販売(笑)。

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注文があったカルテ。最初は順調だったんだけど・・・。



 口コミで細々とやるつもりだったので、まずは、サンプルになってくれる人を数名募集し、そのカルテをみせて、こんなのつくってみない?と何かにつけて営業した。
 副業的なものだから、月に2,3個あればいいよねとなり、5000円のうち2500円とMに渡した。私は1000円もらって、残り1500円はまずはミスムーンとして残す。
 
 そう思ったのだけど、これがまったくうまくいかなった。思った以上に、評判がよく、注文がちょくちょく入るようになったんだけど、なにしろ彼女が1つ書くのに2日はかかる、というのだ。もちろんずっとかかりきりというわけじゃないけど、1日の中でじっくり調べて、次の日いろいろ書く、というのだ。しかも下書きをした上で、カルテを手書きするというのだ。それで2500円は割に合わなすぎて、負担となってしまい、45名くらいの注文を見終わったとき、「やめようか」となってしまった。1人1人ていねいな仕事すぎたので、おきゃくさんには喜ばれたけど、うける方が疲れてしまったのだ。
 考えてみれば、こんな手、あんな手で起業しようと工夫していたんだな〜と、久しぶりに思い出したのだった。

 Mは私の友人と結婚して、仕事もやめて、名古屋にいってしまった。今はどうしてるのかな〜。彼女はいろんな超常体験をしていたので、当時は私も巻き込まれて、ちょっと不思議な体験をしたことがあった。そのことはまた、いつか書きましょう。

ブラック?私は仕事が好き。だからほっといて!

 いつからブラックとか言われるようになったんだろう。私は以前はワーカーホリックという言葉で表現されていた部類の人だ。

 いつ寝てるの?と言われることが多いけど、好きなとき、寝たいときにちゃんと寝ているよ。

 生まれてからしばらくすると、規則正しく生活しなさい、と教わり、毎日決まった時間に学校に行くという暮らしを幼稚園、保育園も会わせると15年近く続けることになる。だから大学生になったとき、毎日が同じでなくて、やっと開放された気分だった。

 私は、好きなことをずっと続けたくて、途中で中断したくないんだ。

 
 音楽の仕事をしているときは最低でも5時間くらいは他のことはなにもしないで(ときにはごはんを食べるのも忘れるし、トイレにいくのも忘れてしまう)ときには寝るのも忘れて、20時間以上仕事することもある。そのことばかりに集中する。

 2000年頃からNPOに関わるようになったのだけど、企画書を書き続けて、報告書を書いて、チラシをデザインして、メールの返事をして、集中してやっていると、ついつい夜中になってしまうこともあるけど、「やらされてる感」がないので、どうしても私に関してはブラックとは言えない。

 私だって、私は休むときは、休むよ。寝るときは寝る。
食事を作るのはやめて、おいしいものをゆっくり食べにいったり、出張先でまちあるきしたり、友だちとエンドレスで話したり。私にとっての最大の楽しい時間は、楽しい企画を考えて議論したり、企画書を書いたりすること。それがとても働いているとは思えないんだもの。
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 私はきっと、自分の好きなことを仕事に変えてしまう特技の持ち主なんだ。

 もっと言えば、私にとって「仕事」とは、楽しいこと。お金をもらう、というのが仕事ではないんだ。そう、仕事は自分で楽しいこと、ものを創り出すことなんだ!


 テレワークの事業をメインでをやっていたときにも、「夜中にやるのはブラックだ」といわれた。そのとき「ほっといてよ。私がいちばん作業したい、効率のよい時間にやらせてよ。それが明け方だったり、夜中だったりしても自分の勝手でしょ!それがテレワークのいいところじゃん」と思っていた。というか、今もそう思っているし、そうしている・・・。

そういう人がいてもいいじゃない?

 私はNPOのことをやっているときには、音楽の仕事のお休み時間にやっているのだし、音楽の仕事をしているときには、NPOのお休み時間にやっているのだから。その間にあまり休みがなくても、心とカラダのバランスがとれていればいいじゃない?

以前、中華街で手相を観てもらったら「あなたは90才まで現役で仕事するよ」と言われて、90才はさすがに休みたいかもと思ったけど、ちょっとうれしかった。

「誰かの役に立っていたい」それが仕事の原点だよね。一生をかけて、誰かの役にたっていけるようなそんな仕事をし続ける、自分でありたい。


 やることいっぱいある・・・それが幸せ、生きる力のモトだ!
上京してすぐ、仕事がない、という状態が苦しかったことに比べれば,私にできることがあることの幸せ。希望は、一生仕事していたい。