音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

「かっこいいか」どうかがすべての基準〜カミングアウト?

ちいさいときから音楽のいわゆる「勉強」をしてきた。

いやいや。正確にいうと、ヤマハ音楽教室の英才教育?のひとつとして、音楽のルネッサンスの思想があり「モーツァルト時代の、自作自演に回帰する」という方針があった。だから理論を学ぶよりも、即興演奏やこどもに自由に作曲させてみる、という中、私はなぜか、小学4年のときに、名古屋で数名のサンプル?に選ばれて、ありとあらゆる教育を受けた。
実験だったのかな。リズム感をつけるために、ドラムを習ってピグミー族の踊りを教えてもらったり、中南米の打楽器の奏法をならったり、即興演奏をするために、渡辺貞夫のジャス理論やドンセベスキーの本をもって、当時売れっ子だった編曲家の先生たちに、作編曲を習った。

理論も勉強したけど、いっぱい現場でも実験的なことをさせてもらった。
だから東京にきたとき、ありとあらゆる経験があったので、音楽でなんとかなるだろうと思ったんだよね〜。出てきたばかりの20代の頃は、超貧乏で、いつ家賃が払えなくなるかどきどきしながら暮らしていたけど。

ヤマハの教材つくらせてもらったり、ピアノのアレンジ本書いたり、コマーシャルやジングルつくったり、アーティストさんのデモテープお手伝いしたり、目覚まし時計の発信音つくったり、アーティストのバックバンドしたり、吉祥寺のお店でピアノ弾いたり、カラオケつくる仕事したり、晴海の音楽ブースでデモ演奏したり。
とにかく音楽とつくことならなんでもした。

30代のころ、友人に誘われて「グラムロック」のバンドに参加。
カルチャーショックだったな〜。
なにしろ、音楽の基準が「音が間違っている」ということではなく、「かっこいい音」か「かっこわるい音」かということで。音楽は「女の子にもてたい」からはじめた、みたいな男の子たちと、ツアーをまわった。
対バン(バンド同士組んでライブすること)は、イエロー・モンキーや、すかんち
そのころはみんなアマチュアだったんだよ。
でもなんか私のかかわったバンドだけはデビューできなかった。

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バンドのフライヤーで足がぶかっこうなのが私。バンドではギターは弾いてませんが。。。

バンドが解散するときに、イエモンから、お葬式の花が贈られたことを今も忘れない。いかしてるな〜と。私たちは渋谷のラママをいつも満員にしていたバンドだった。

全国ツアーもいったよ。私が主たる運転手でハイエースを運転して。

こどもたちのNPO法人やってるから、ちょっとあんまりな過去かなといままでみんなに話したことはなかったけど、まあいいかそろそろ。
演奏はなんかぐちゃぐちゃだけど、最後の方にはだか同然の私がでてきます
(閲覧注意で)

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私も本物のロッカーやってました。
ふふふ。