音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

やりたいことをやり、なりたいものになれ!

どうして音楽を仕事にしたのかって?

最初のきっかけは、小学1年生くらいのときだったと思う。コンサートにいって胸躍る気持ちになり、聴くだけではなく、自分がステージの上にあがって楽しむ側になりたい、と強く思ったからだ。

それからわずか4年後、小学5年生で、私は音楽の仕事をしはじめていた。

土日には、松坂屋や中村(名古屋なので)デパートのイベントによばれて、デパート店内で演奏したり。東海銀行のフロアで1日数回演奏したり、納屋橋ヤマハで演奏したり。
イベントチラシなどに「ちぴっこ演奏」とか書かれてたな?
さらには、岡崎市犬山市、富山や金沢まで出かけて、ヤマハの発表会でゲスト演奏した。こどもなのでギャラは図書券やレコード券、ときにはモロゾフのチョコレートだったけどね。

普通にヤマハ音楽教室にかよっていたんだけど、気が付いたら、同期の友だちがまだグレード9級とか受けているときに、私は6級の試験を受けたりでクラスが合わなくなり、いちばん難しい年上もいるクラスに入り、さらにオーディションにうかって、ヤマハがはじめたばかりの作編曲コースに入って英才教育を受けた。

そんなにがむしゃらにやった覚えはない。
ただ、好きだから練習したり、勉強したりしてただけ。
毎日ボールが見えなくなるまで野原を駆け回るこどもだったから。

小さい頃からクラシックをそのまま弾くというのが嫌いで、いわゆるピアノの発表会には一度もでなかった。

自宅の近くでピアノを習っていたんだけど、ピアノの先生に発表会はでない、とはいいずらいので、毎年、発表会前日になって熱を出したと連絡し、ドタキャンする、本番に弱い子、となっていた。
嘘をついてごめんなさい。実は出たくなかっただけだ。

私はそのころもう、ステージで演奏しまくっていたから、人前で演奏するのになれていたけど、発表会はいやだった。
「楽譜に書いてあるとおりに間違いなく演奏しなくてはいけない」
「自分の好きな服をきて演奏できない」
「ステージにピアノとお花くらいしかなくて、照明も真っ白で楽しくない」
を理由に、両親には私はそういうところでは演奏しない、と論破した。
私はホットパンツにブラウスで、毎回違う演奏をしたかったんだ。
自分のつくった曲を演奏し、聴いて欲しかったんだ。

合歓の郷三重県)にあった、そのころ日本に1つしかないポピュラーの音楽院に行こうと考えてたが、時期尚早だったのかその学校は無くなってしまった。しかたなく?音大の作曲に行くことにして、またクラシックの勉強に戻り1浪して、愛知県立芸術大学の作曲科に入学した。

名刺に「作編曲家」と書いた瞬間から、私は作編曲家になった。

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仕事部屋。マウスが左なのは、右手は演奏に使うことが多いから。音楽の仕事ではマウスは左遣い。



資格なんてない。いくらヤマハグレード3級ですとか、愛知芸大に行ってたとかいってもそんな人はたくさんいる。自分の作品をダビングして持ち込み、聴いてもらったり、編曲した楽譜を持ち込んで営業した。

私の仕事の方針は
「いま自分にできる最高を目指します!」
ということで、具体的には
「クライアントと自分が満足いくまで、やり続ける、何度でも直す」
なのだが、そこに「自分の満足」をいれたのは、自分らしさをどのくらい、その中にスパイスとしていれられるかということが、私にしかできないことを売る、ということで、とても大事だと思っている。

それから、自分がクライアントだったら、同じくらいのレベルの仕事ができる人がいた場合、気持ちよく楽しく、ストレスなく仕事できる人とやりたいと思うのは当たり前だから、
「納期はぜったいに守る」
「楽しく明るく仕事場をもりあげる」
をポリシーにしてきた。


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さて、そろそろまちづくりの仕事を名乗っていいんじゃない?
まちづくりを本格的に仕事にしたいなあ。まちの企画を考えるのが大好きなので、コンサルティングやアドバイザーの仕事がしたい。

やりたいことをやり、なりたいものになるんだ!!

名刺は・・・どんな肩書きがいいかな?