音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

私にとっての若者のまちだった「新宿」そしてロックンロール

 はじめて東京にきて、まちをひとりあるきしたのは新宿だった。
そのころ住んでいた、名古屋では情報が少なくて、本当にすみずみまで読んでいたのは、キーボードマガジン、サウンド&レコーディングマガジンなどった。
あとは「ぴあ」というコンサートやライブ情報が載っている冊子。それにジャズ喫茶やライブハウスの情報などが載っていて、いちばん目についたのが新宿だったから。

 あれは80年代だった。よくわからず、伊勢丹のまわりとかうろうろして、キョロキョロしてたから田舎から来たばかりと、目についたのかもしれない。すぐに男性に声かけられた。20代くらいの男性かなあ「良いバイトあるんだけど時間ない?1時間1万円になるよ」と、話しかけられた。私ったら、びっくりして「へえ。1時間1万円の仕事があるんですかあ。どんな内容ですか?」と普通に聞いたところ、肩に手を回され「そんなのわかってるでしょ〜」と言われてはじめて、これはやばいやつか、と気づいた。それで、「すみません。ちょっとできないです」とその場を去った。そのころ、音楽の仕事はスタジオで1時間スタジオミュージシャンとして演奏して8000円から1万円だったから、不思議には思わなかったんだよね。もちろんそんな良い仕事は19歳の私にはまだできてなかったけど。
 そして、さらに歩いていると今度は金髪の派手な女の子(やっぱり20代かな?)から「ねえねえ、お茶しない?」と言われたので、心の中で(へええ、女の子に声かけられるなんてめずらしいな)と思い、ちょうど喉も渇いていたことから近くの喫茶店にノコノコついて行ったんだよね。そのこはパフェかなんか食べて、私はたしかレモンスカッシュ的なものを飲んだと思う。どこからきたの?学生?とか聞かれて、名古屋からきたんですよ〜。学生だけど、今日は目黒に泊まってて・・・というと、「そうなんだ、2時間くらい時間ない?仕事手伝って欲しいんだよね」と言われ。「手伝うって、どんな仕事しているの?」と聞くと、あっさり「娼婦だよ」と言われ・・・。そのストレートな言い方と、ちょっと誇りに思っているくらいの口調に圧倒された19歳の私は、ショックを受けたことを表に出してはいけないととっさに感じて「ごめん、もういかなくちゃならないんだ〜。だから手伝えない」といって別れたんだけどね。あの子はどうしただろう。はじめての東京、そして歌舞伎町の思い出だ。

 その後新宿のルイードとか、ピットインとか、おきゃくさんだったり、出演者だったりでいったけど、新宿では、あとにもさきにも誰にも話しかけられることはなかった。伊勢丹のロック喫茶「ローリングストーンズ」も何回かいったけど、調べてみたら、いまはなくなってしまった。ロック喫茶には私の青春が詰まっている。名古屋の栄や菊園町のアトムとか、とにかく音楽、音楽、音楽だったなあ。高校生の頃大好きだった、レッドツェッペリン。アルバムLPレコードほぼもってたなあ。

 1月からこんな回想してるようでは、年取ってしまったのかな。今日は、ロックンロールを聞きながら。

 ↓ レスリースピーカーで思いっきりハモンドオルガンを弾く私の演奏がきけます。最初のギターのピッチがすごいけど・・でもロックな演奏です。(これは川崎のチッタですがね)あれからやばいほど、時間がたってしまった・・・。

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