音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

思うだけじゃ伝わらない!アクションを起こせ!

先日ブログに書いた「チビッコ猛語録」の影響もあったのかもしれない。

早熟なこどもだった・・・私がもっとも影響を受けた発禁図書「チビッコ猛語録」 - 音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

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中学に入る直前。小学校6年の卒業式のときの記念写真。一番右の先生のとなりのちぴっこが私!


私の行っていた中学は、名古屋で最低の成績の学校だとうわさされていた。たぶんほぼ事実だろう。

校庭の裏にはシンナーがはいっていた袋が落ちていたり、教室で授業中に傘をさしてたばこを吸っている子がいたり。でも先生が、生徒をこわがっていて、見て見ぬふり。先生が生徒の暴力にあい、学校に来なくなったことが、私のいた3年間で2回も起きた。

そのくせ、校則はきびしくて、白い靴下に白い紐靴でなけければいけないといわれ、やぶると朝会で、前に出て先生にビンタされた。その先生の口癖は「オレはビンタで生徒の鼓膜を破ったことがあるんだぞ!」

先生は狂っていたと思う。いまでは考えられないよね。

中2で同じクラスの女の子が学校に来なくなり、街であったら、赤ちゃんを抱えてて、びっくりした。14才で妊娠、出産。相手は30才のあぶない職業だと聞いた。あまりに大人になってしまった彼女に、私は話しかけられなかった。

私自身は、そんな中学でもなんとか耐えていた。でも私には2つ下の弟がいて、彼には受験して違う中学に行って欲しかったので、母と私で説得したんだけど、結局同じ中学に入ってきてしまったんだ。

弟を守るために、なんとか変えなくてはならない。先生は誰ひとり信頼できなくて相談もできない!

悩んだ末に私は、中日新聞の社会部に匿名で手紙を書いた。必死で原稿用紙数枚にきびしい現況を書き、学校をなんとかしてほしい、と書き綴った。

それは効果があった。

中学は慌ただしく変わっていった。まず校長先生が途中で変わり、新しく来た校長先生は、朝礼で「学校をよくするために力を尽くす」と述べたのだ。その先生は、お昼に校庭で炊き出しを始めたりと、変わった人だったけれど、私が卒業したあともがんばっているらしかった。

新聞社に投稿したことは、両親以外の誰にも言えなかったが、アクションを起こすと変わる・・・ということを中学生で知ったのだ。

いまだったら、証拠写真なんかもすぐに可能だし、SNSやブログでの暴露とかなんだろうな〜。


あのときの社会部への手紙、読めるものなら読み返してみたいなあ。
それを読み、学校にアクションしてくれた中日新聞の方に感謝もしたいな。