音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

キミがいないとこのまちははじまらない!

昨日、大切な友人のお別れの会がありました。
横浜愛のとまらない人だったから、横浜港への散骨クルーズ。
明るく送ろうという中で、私は泣かないようにがんばりました。

昨年の2月に病で倒れ、6月まで入院。自宅療養から、介護施設に10月に入り、1月はじめに亡くなりました。折々に会いに行きましたので、あっという間でもあり、長いお別れでもありました。

NPO活動をするようになってからの私。おもしろいことを思いつくと、それを口にし、彼はそれをやれるように仕立てあげるのが得意でした。そして、実際に表にたって動くのはどちらかというと私になり、裏方を支えてもらいました。

ときどき、「企画したんだから自分が代表でやって」と苦情を言うと、「自分は誰かに託す人でそんなに器用じゃない」と言われ、どんどん後ろから押されるように、さまざまな新しいことにチャレンジしてきました。


ミニヨコハマシティもそう。特命こども地域アクターもそう。日本ナポリタン学会もそう。もちろん一緒に手伝ってもらったけど、表にはあまり出ない。ほぼ全部そうでした。

昨年は、自分は強力に後ろから押してくれる人が不在で、自分を深く見つめることになりました。と、同時にいろんな方がまわりから支えていてくれることも再確認しました。でも簡単にこの喪失感は消えないでしょうけど。

クルーズ船では、ピアノでみなさんを癒やせればとも、と思っていたのですが、お借りしたキーボードの鍵盤は61鍵しかなかったし、サスティンペダルがなく、バラード的なものは演奏できない状態でした。それが逆に元気のある音になってしまい、よかったのかもしれませんね。

 

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お花と一緒に100人以上の親しい方が散骨しました


(当日の写真は私は撮ることができず、お借りしました)

最後にこどもたちと一緒につくった、ミニヨコハマシティの歌詞の一部を添付します。


【ミニヨコ さいこう!】 

19才以下でつくるこどものまち Yeah!

 

☆Crap Your Hands  Crap Your Hands 

Say Yes!  Yes!  ミニヨコ最高 Yeah!

 

これからつくるぼくらの街は

ひとりひとりの希望がいっぱいいっぱい詰まってる

新しいクレヨンみたいに キミの好きな未来描こう

 

こどもにしか見えない何かがあるから 

それを見つけ出そうよ

みんなで SO! みんなでYes! いっしょにつくろう

 

街の色 風のにおい すべてがかわっていくよ

キミとなら なにもかも 輝いてみえるよ

 

はじめてキミと出逢った日から 世界がすこしずつ変わっていく

生まれたばかりのこの街で さあ なにしよう なにつくろう

泣いたり笑ったり けんかして仲直り すべてが大切な宝物だよ

キミがいないとこの街ははじまらない

 

☆Crap Your Hands  Crap Your Hands 

Say Yes!  Yes!  ミニヨコ最高 Yeah!

そして はじまりは はじまりはいつも 

やるぞ!という気持ちが大切だよ

終わりのない終わりのない夢を 

みんなと一緒につくりあげていく

 

はじまりは はじまりはいつも 

突然 キミとボクの出逢いからだよ

終わりのない終わりのない夢を  

ずっとずっと未来へつなげる

 

☆Crap Your Hands  Crap Your Hands 

Say Yes!  Yes!  ミニヨコ最高 Yeah!


いちばん最初の録音・・・2008年頃です

https://youtu.be/p22GImAq9FI




 

三月、新しいことを考える季節。

今日はひさしぶりにゆっくりねた。といっても寝たのは25時、起きたのは7時。
いつも睡眠時間が短すぎるのかもしれないけど、ずっとそれで生きてきてしまった。

 

 基本的に寝るのがあまりすきではなく、本当ならずっとおきてなにかしていたいという性質だ。しかしここのところ、やることが多すぎて処理できず、レッドブルのお世話になってしまった。こういうのまれにしか飲まないので、こわいくらい効き目がある。いったい何が入っているんだろう。

 

 そんな忙殺の中、来年から勉強しようと、大学院を受験した。私、大学中退してるんで、高卒なんだよね。そのためにさまざまな書類が必要になったけど、でもなんとか受験資格をもらい、社会人枠で入れてもらうことができた。田園調布学園大学で「こども人間学」を学ぶことに。平日の夜を中心に勉強する日がやってくる。ミニたまゆりもやっている、そしてなによりも自分の家から車でいけば、15分!夜間は車での通学も可能なのがうれしい。今年は自分に投資することにする。

 

 いままで、つっぱしってきた「こども」のまち、「こども」の社会参画、なんのエビデンスもないまま、自分の直感で進めてきたことを整理していきたいと思う。そして、できれば次世代に伝えていきたいと思う。本当にできるかどうかわからないけど。

 

 そんなこんなで、以前にいっていた、愛知県立芸術大学に入学証明書をもらったり。音楽の専門学校メーザーハウスに電話したりして、成績証明書をもらったり。驚いたことに、30数年前なのに、私のことを事務局の方が事細かに覚えていて、びっくり。
私はセオリーの教科書を途中から受けたよね、とか、佐藤允彦さんクラスでアンサンブルしてたよね、とか。

 

 メーザーに通っていたとき、私は「特待生」に合格して入学したので、そうとう気合いが入っていたし、仕事をしないと生きていけないと必死だったので、事務局に来てる仕事をいろいろもらったな〜。
 たとえば、昔は展示場といえば「晴海」だったのだけど、楽器フェアなどでデモ演奏する仕事をもらって、晴海に1週間とか通って、リットーミュージックのアルバイトしたり。

 あるとき、パーティで臨時のピアノトリオの仕事があるから、事務局から仕事をもらったとき。言われた演奏場所は、六本木のアメリカンクラブだった。いってみたら芸能人の妹さんの結婚式のパーティで、おきゃくさんがすごすぎてまいった。音楽関係の人も多く、なんと佐藤允彦さんや日野皓正さんがおきゃくさんにいる中、司会の方に「演奏は岩室晶子トリオです!」と言われてしまい、、、、(汗だく)
だってドラムもベースもさっきはじめて会った人だったんだから。どうだろ。30分はリハできたかもしれないけど。
 

 まだ20代の若いピアニスト(私のこと)に、みんなとっても優しくしてくれたなあ。その日即席の岩室晶子トリオのベースの人は帰り六本木から家まで送ってくれた。「一生懸命さに感動したよ、がんばってね」と言われた。ああ。名前を失念してしまったけど、きっと今も活躍している方に違いない。
 ドラムの方は今は亡き、日野元彦さんのお弟子さんだったと記憶している。しかし私も心臓がすわっているよね。開き直って、グリーンドルフィンストリートやマイファニーバレンタインを演奏したっけ。いまもそうなんだけど、臆することがないということが私の最大の特徴なのかもしれないな。

 

 

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なつかしいメーザーハウスの教科書。メーザーも2020年になくなってしまうらしい。


そんなこんなで、春からさらに気合いを入れて大学院に通い、勉強します。
仕事もいままでとおり、こなします。
きっと多くの人の役に立てるよう、がんばるので、みなさんよろしくお願いします。

私にとっての若者のまちだった「新宿」そしてロックンロール

 はじめて東京にきて、まちをひとりあるきしたのは新宿だった。
そのころ住んでいた、名古屋では情報が少なくて、本当にすみずみまで読んでいたのは、キーボードマガジン、サウンド&レコーディングマガジンなどった。
あとは「ぴあ」というコンサートやライブ情報が載っている冊子。それにジャズ喫茶やライブハウスの情報などが載っていて、いちばん目についたのが新宿だったから。

 あれは80年代だった。よくわからず、伊勢丹のまわりとかうろうろして、キョロキョロしてたから田舎から来たばかりと、目についたのかもしれない。すぐに男性に声かけられた。20代くらいの男性かなあ「良いバイトあるんだけど時間ない?1時間1万円になるよ」と、話しかけられた。私ったら、びっくりして「へえ。1時間1万円の仕事があるんですかあ。どんな内容ですか?」と普通に聞いたところ、肩に手を回され「そんなのわかってるでしょ〜」と言われてはじめて、これはやばいやつか、と気づいた。それで、「すみません。ちょっとできないです」とその場を去った。そのころ、音楽の仕事はスタジオで1時間スタジオミュージシャンとして演奏して8000円から1万円だったから、不思議には思わなかったんだよね。もちろんそんな良い仕事は19歳の私にはまだできてなかったけど。
 そして、さらに歩いていると今度は金髪の派手な女の子(やっぱり20代かな?)から「ねえねえ、お茶しない?」と言われたので、心の中で(へええ、女の子に声かけられるなんてめずらしいな)と思い、ちょうど喉も渇いていたことから近くの喫茶店にノコノコついて行ったんだよね。そのこはパフェかなんか食べて、私はたしかレモンスカッシュ的なものを飲んだと思う。どこからきたの?学生?とか聞かれて、名古屋からきたんですよ〜。学生だけど、今日は目黒に泊まってて・・・というと、「そうなんだ、2時間くらい時間ない?仕事手伝って欲しいんだよね」と言われ。「手伝うって、どんな仕事しているの?」と聞くと、あっさり「娼婦だよ」と言われ・・・。そのストレートな言い方と、ちょっと誇りに思っているくらいの口調に圧倒された19歳の私は、ショックを受けたことを表に出してはいけないととっさに感じて「ごめん、もういかなくちゃならないんだ〜。だから手伝えない」といって別れたんだけどね。あの子はどうしただろう。はじめての東京、そして歌舞伎町の思い出だ。

 その後新宿のルイードとか、ピットインとか、おきゃくさんだったり、出演者だったりでいったけど、新宿では、あとにもさきにも誰にも話しかけられることはなかった。伊勢丹のロック喫茶「ローリングストーンズ」も何回かいったけど、調べてみたら、いまはなくなってしまった。ロック喫茶には私の青春が詰まっている。名古屋の栄や菊園町のアトムとか、とにかく音楽、音楽、音楽だったなあ。高校生の頃大好きだった、レッドツェッペリン。アルバムLPレコードほぼもってたなあ。

 1月からこんな回想してるようでは、年取ってしまったのかな。今日は、ロックンロールを聞きながら。

 ↓ レスリースピーカーで思いっきりハモンドオルガンを弾く私の演奏がきけます。最初のギターのピッチがすごいけど・・でもロックな演奏です。(これは川崎のチッタですがね)あれからやばいほど、時間がたってしまった・・・。

www.youtube.com

あけましておめでとうございます、のつぶやき

長らくブログをお休みしていました。
とにかく昨年もたくさんのことをしました。

どんなことも一人ではできないので、多くの仲間と一緒に、時には助け、助けられながら。ありがとう。

そして年が明けたらとうとうFacebookの友だちがちょうど1000人になった。
Facebookの友だちは5000人までなので、あと5倍はいけるということか。

SNS、私にとって、いちばん最初のSNSは「関心空間」だった。つい2年前まであったみたいだけど、もう閉じてしまったらしい。それを開発した人から直接話しを聞く機会があり、そのときに、人と人とを直接つなげるのではなく、関心のある「モノ」と通してつながるという、おもしろさに感動した。人と人だとネット炎上のもとになるが、「モノ」を通すことにより、議論になる。人そのものは傷つかない。クリエイティブな方向性でつながるという発想がすてきすぎて、関心空間を楽しんだ。そこからつながった人たちもたくさんいたと思う。

関心空間 - Wikipedia


私はいつも驚かされてきた。

はじめてウォークマンが出たとき。車の中では好きな音楽がきけるシステムがあるのだから、歩きながら好きな音楽を聴くことができるようなものがあったらいい、と誰が思いついた。そしてコンパクトなウォークマンが出た。このことで私はバンドのリハを何度もレビューすることができて、急に演奏がうまくなったような気がするし、構成力がついたような気がした。

はじめてインターネットが家庭にやってきて、ラジオとかでURLはWWWスラッシュとかいいはじめたとき。
そのことをニュースステーションで久米さんが取り上げてて、「クリントン大統領の家のネコ、ソックスくんの鳴き声が聞ける」などといわれ、必死でURLをいれて、探してきいたりした。そのころ検索という概念はまだなかった。で、インターネット中継で身近なところからネット配信できるようになって、世界一有名になったコーヒーメイカーの話はあまりに有名で、ついつい私も見に行ってしまった。イギリス ケンブリッジ大学のコンピュータ研究室にあるコーヒーメーカーにカメラがついていて、それをネット中継していたため、世界中から「そろそろコーヒーなくなるよ」とかメッセージが書き込まれたという。なんか笑える。横浜でも能見台のおそばやさん(横浜市民メディア連絡会のメンバー)が厨房とか、店のようすをネット中継してて、「今日はかきあげそばの注文がおおいな」とかついつい見てしまったり。あと、栄区のアースプラザで飼っている亀もずっと中継されてて、「動いてるな〜」とか見に行ったりしてたな。

それからも私をおどろかせるものは毎年毎年出てくる。
GPS、i-phone、AR、メルカリ、ポケモンGO、SNOWなどなど。

誰かがステキなことを形にしてくれるので、世界は楽しくなる。
それを使い倒してこれからも楽しく生きていこ。

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ホワイトハウスにいたソックスくん、かわいかった



 

懐かしのアーノルドパーマー

私の小学校の卒業式のときのこと。
かなりひねくれ者だった私は、ワンピースでなく、パンツにしたいと希望した。

そうしたら、おとうさんが買ってきてくれたのが、アーノルドパーマーの赤と白のパンタロン?だった。お店の人に「小学6年生」と話したんだろうけど、私の身長と体重は、6年生にはみえず、誰よりも小さくて細かった。
だから買ってきてくれたサイズは巨大で、ズボンは胸まで着てしまうくらいの大きさがあった。私は「おと〜〜さん、なにこれ〜〜」と大笑いしたかもしれない。おとうさんはがっかりしていたような。もういなくなってしまった父の遠い記憶だ。

そのパンタロンは、私が高校生になったときに、はじめてサイズがぴったりした。そのころには、すでに赤白のパンタロンは流行遅れだった・・・。

アーノルドパーマーはゴルフやる人が着るだと思っていた。私の勝手な偏見でミュージシャンは、いえいえ特にROCKERは、ゴルフは似合わない、と思っていたので、ゴルフウエアのような服は避けていたし、アーノルドパーマー売り場に入ることは一度もなかったのだけど、先日、きれいな緑色のセーターを探していたら、アーノルドパーマーのお店の前を通って目についたのだ。あった!!ちょうど欲しかった色が。


しかもとてもかわいく、アンブレラのマークも悪くないなと思い、衝動買いしてしまった。

ブランドも、デザイナーが世代交代してるのかな。

お父さんが購入した私が小学生のときから、2つめのアーノルドパーマー
ときどきお店をのぞいてみようかなって思った。
ゴルフはやらないけど。

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はないちもんめ が嫌い

はないちもんめ が嫌い


めずらしく、近所から、はないちもんめをやるこどもたちの声が聞こえてきた。
私もこどものころ遊んだ。記憶にあるのは、3才まで住んでいた家のまわりの風景なので、きっと学校に上がる前の遊びだったんだ。すごいな、まだこの曲、歌い継がれていたんだ〜〜。
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写真は本人ですが、本文内容とは、まったく関係ありません。

私は、はないちもんめが大嫌いだった。何が嫌いというと、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ、となって、誰にする??とひそひそ話合う、、、そして決まった子同士がお互いにとりあう。じゃんけんでとりあうところもあるようだけど、私たちは線を書いてそこからひっぱりっこした。

幼い私は考えすぎだったんだろうか。
はないちもんめで、最後まで自分が欲しいといわれなかったら、いやだな・・・さみしいな。でももしもずっと、呼ばれないで最後の1人になっちゃった子が、傷づいてしまうかもしれないのを見るのも苦しかった。最後の1人に自分がなっても、他のともだちがなってもいずれにしても苦しくなってしまうんだ。

だから、とにかく、はないちもんめやろう、と言われて、できればやりたくなかった。

意味もわからず、歌っていたけれど、花売りが1匁(花の単位でとても軽い)を売っているようすで、値段のまけあいの様子らしいのだけれど、一説では、こどもの売り買いを表しているとか。口減らしのため。あの子が欲しいといわれる、ねぎり、一人取られてしまう。もしも本当に人の売り買いの話だったとしたら。子ども心に怖かったり、この曲嫌いと思ったのも、見えない何かを感じていたのかもしれないな。

外国の子守歌は、お母さんが優しくこどもをあやす物がおおいのに、日本の子守歌は、ちいさな子がお母さんのかわりに赤ちゃんのめんどうをみながら歌う曲が多いので、なんか暗い。はやく寝て!!休みたいよ〜という声が聞こえてくるようだ。


写真は本文内容とは、まったく関係ありません。その昔「Cindy」と名乗って演奏していたころの私。この頃過激な格好をしていて、乗車拒否されたこともあったくらいだった・・・。

ブレーメンの音楽隊の不思議

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元住吉ブレーメン商店街のオブジェがすてき(写真は本文と関係ありませんが)



こどものころ読んでもらった童話とか昔話。あまりにも不思議が多くて、こどもながらに「えええ〜〜っ」とつっこみどころ満載だった。素直に読んだり、そのまま話を聞いている他の子どももいたので、わたしだけかもしれないけれど、「おかしいでしょ!」と思ったこと、それは、今も同じ感覚だ。

まず一番衝撃だったのは、「ブレーメンの音楽隊」だ。
人間のために働いていた動物たち(ロバ、犬、ネコ、にわとり)が、年をとり捨てられそうになり、なんとかしたいと考えていた。そこで音楽が好きだった4匹は、ブレーメンにいって音楽家になろうと思い、旅にでた。
ブレーメンへいこう、音楽家になろう」と歌いながら。

と、ここまでは、当時純粋に音楽が好きで、音楽家になろうと思っていたこどもの私の共感を呼んだ。たぶんテレビでやっていたミュージカルをそのまま放送する番組でみたんだけど、4匹はけっこう歌もうまく、そこそこ楽器もできる設定だった。だから私は心の中で「がんばれ〜〜」と思ったわけだ。

途中、4匹は森の中で休憩しようと思い、場所を探していたら、人間のどろぼうたちのアジトがあり、4匹がトーテムポール的に、合体し、力をあわせて、声の限り叫び、、、それをどろぼうは怪物だと思い、逃げ出す。4匹は、どろぼうのアジトを気に入り、そこで楽しく暮らした、というストーリーだ。

ええっと。。ここからなにを学べばいいんだ?と、私はこどもながらに思ったのだ。おかしくないか?

私がおかしいと思ったことは、
「泥棒がとったものなら、自分のものにしてもいいのか?泥棒ものをとるのも泥棒ではないか」ということだった。
泥棒はかわいそうだし、彼らは改心するわけでもなく、このままではまた、他のまちにいって泥棒をして暮らすことになるかもしれない。いい結論ではない。

それから私が、もっともがっかりしたことは、
「泥棒の財産(金貨など)が手に入ったので、そこですっかり音楽家になるのをやめてしまったこと」だ。
それは音楽家になることを目指していた私の心を大変傷つけた。「なんだよ、お金さえあればいいのか。音楽が好きではなかったのか。夢をカンタンに捨てるのか」ということだ。

ブレーメンの音楽隊の絵本を読んだり、ミュージカルを見て、みんなが楽しんでいるのが不思議だった。私はとてもとてもがっかりしたんだ。

かれらはブレーメンにいってもいないのに、タイトルは「ブレーメンの音楽隊」
ここからなにを学べばいい?

他にもつっこみどころ満載な話はいっぱいある。

女の子ならだれでも夢みる「王子さま」との恋のシンデレラやしらゆき姫だって、たいしておつきあいする時間もなく、王子さまと結ばれるのが究極の目的になっている。でもしらゆき姫も、シンデレラもまだましなのは、王子さまとの出会いがちゃんとある、ということだ。私の知る限り、もっとも不思議でなっとくがいかないのは、「眠れる森の美女」だ。
魔法をかけられて、近くを通りがかった王子が、眠っている王女のうわさを聞いて、助けにいく。数々の敵を戦いながら、勇敢に戦い、とうとう王女のところにたどり着き、キスをすると目を覚まし、そのままお互いに一目惚れして結婚するといストーリー。

ここで、みんな、えええ〜〜っとならない??
いきなりキスされて目が覚めたら、まるで鳥や爬虫類のように、最初にみた人を完全信頼して恋に落ちる、、、そんなことあるわけないじゃん。仮にわたしが王女だったら、もちろん助けてくれてありがとう、となるけど、そのあと、お話したり
いろいろあってから、恋に落ちることもあるかも、ってくらいじゃないか。

だからどっちかっていうと、大人になってから見た、美女と野獣はその逆だから共感できるところはあった。野獣の人柄?がわかって、恋に落ちる・・・。で、それは王子さまだった・・・。
でも私としては野獣のままでもよかった。そのほうがステキな気がした。

みんな、不思議はなかったの?
私はこどもの頃から不思議だった。これは個人的な考えだから、個々それぞれだと思うけど。

そういう不思議に思う気持ちをいつまでも失いたくないな。