音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

救急車を見る度、思いだすこと。

交差点を救急車が横切ろうとしていた。

救急車を見る度、出産のことを思いだしてしまう。

私は、陣痛が20分おきになっても、まだ、アレンジの仕事をしていた。出産したら、しばらくできないな〜と思っていたから、ぎりぎりまでやっていたのだ。

5分おきになったので、病院にいくことにした。そのときにはもう死にそうにお腹が痛かった。

着いたのは24時すぎ。
個人医院だったので、当直の若い看護師が、対応してくれた。私、今日がはじめての夜勤なんだ〜と明るくいっていた彼女が、明け方慌てて「赤ちゃんの心拍が止まった!たいへん、先生を呼ばなくちゃ」なにがなんだかわからないうちに、うちの彼は書類にサインをし、私は分娩台からすぐ横の細い手術用のベットにまっぱだかのまま、歩いて移動し、背中に注射を打たれて、帝王切開となった。
赤ちゃんを取り出すことが急務で、あまりに慌てていたので、注射をしてすぐお腹を切ったので、切る感覚がわかったほどだ。朝6時頃だったかな。
気が付くと、看護師が何人も来ていて、みんな慌ただしく動いていて話しかけることもできない。
赤ちゃんが生まれたのかどうか、聞くこともできなかった。というか、私は「赤ちゃんは死にました」といわれると思ったので、聞くのがこわかった。みんな私にいいずらいのだ、きっと。そう思った。
救急車呼びます、という声が聞こえて、「あの〜赤ちゃんはどうなったのでしょうか」とおそるおそる聞いたら、「大丈夫、生きてます」と言われた。救急車がこなくてこなくて。
ようやくきたら、救急隊員が「保育器がなくて、聖マリアンナにとりにいってから来たので遅れた」と話していた。運ばれる前にちらっと保育器に入っている色の悪い(紫色?)の赤ちゃんを見た。
お医者さんから、「15分心拍が止まったので、脳性麻痺などの恐れがある」と説明を受けた。淡々と。「死んだわけじゃない」私は思ったっけ。

それから私は病院で麻酔を入れてもらい、うとうとしたり、また痛みで起きたり。臨時のベットだったので、私が1日中寝ている間に3人もの出産が間近で聞こえてきた。

しらなかったのだけど・・・
救急車で運ばれるときに、出産した病院に、その手配料10万と行く先の大病院に10万もっていくようにと言われて、うちの彼は言われた通り持って行ったという。私はあとから激怒しそうだった。なんで20万も余分に払わなくてはいけないのか。救急車呼ぶの当たりまえだし。もう時効だからいいだろう。もう20年前の話だから、いまはそんなことはないだろう、と思うけど。

溝の口イトーヨーカドー前の○○産院から、藤が丘の大病院へ。藤が丘の病院も封筒に入れた10万を「○○医院からです」と言えと医院から言われたとおりにうちの彼が言うと、そのままうけとったらしい。それは誰のものになったんだろう。

私だったら、、、払わない。でも、こどもがやばい、わたしもお腹を切ってて、うちのは動揺してすぐに銀行でお金を下ろしたらしい。しかたないこととはいえ、弱みにつけこんで必要の無いお金をとるなんてゆるせない。

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私はそんなことも知らずに、個人医院で麻酔を打ってもらったりしながら、入院5日間。天井をみながら「これは誰のせいでもないのだ。誰かをせめてはいけないのだ」とまったく頭の中は真っ白だった。

6日目に退院できて、ようやくこどもに会いに藤が丘にいった。
未熟児の並ぶ、保育器の中で、10ヶ月たってうまれたうちのこどもは、元気そうに泣いていた。検査のため、毎日注射していたので手の甲が針のあとでいっぱい。1ヶ月後に何事もなく、退院した。なんてラッキーな子なんだろう。

障がいが出る、と言われ続けたので、その後もなにかあるとむちゃくちゃ心配したけど、喘息が小学校あがるまであったけど、入院をその後2回もしたけど、でも、もう20才になり、まったく普通に元気に育った。

だから・・・
いつも思うんだ。
元気なだけで、生きているだけで、それ以上はいいんだって。

明日は母の日だ。

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私が帝王切開退院後、はじめて対面した日の写真。