音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

横浜都筑のまちでコミュニティカフェやったり、音楽したり。こどもたちとまちづくりしたり。

私は小学生のとき、家を建てた!

私の家族は、私が3才くらいのころから父方の祖父母が住んでいた平屋市営住宅の敷地内に、勝手にプレハブ住宅を建てて住んでいた。もちろんトイレも台所もなく、トイレにいくときには、靴を履いて祖父母の家にいって借りていた。その小さな一戸建て不法住宅に家族4人が住んでいた。

市営住宅に住んでいると、新しい市営住宅の抽選で有利だったから、そんな苦し紛れのことをしていたのかもしれない。母は、比較的近所に新しく建てられたばかりの二階建市営住宅に入るために、何度も私と弟を引き連れて、市役所に懇願に通ったということだった。

入居者の家賃を集める仕事をする、という条件で、私たちは晴れて、二階建長屋の市営住宅に入る事ができた。余談だが、小学生になると私は30軒分くらいの家賃を集めるお手伝いをしていた。家賃はそのころ1ヶ月2800円くらいから10000円位まで収入に応じて、まちまちだった。それで豊かさがこどもにもわかってしまった。しかし、それでも2800円の家賃を月末に集金にいくと、「郵便局にいってないから、来週来て」などと言われ、次週にいってもまた同じ回答だったりしたものだ。お金がないのかな、と子どもながらに思った。市営住宅に住んでいた人達はみんな、決して裕福ではなかった。

さて小学校4年生の夏休みだったと思う。
角の広い庭付き市営住宅だったのをいいことに、祖父母の家に建てていたプレハブ住宅を、勝手に移築することにしたのだ。たぶん祖父母の市営住宅の庭にあったときから違法建築だったと思う。祖父母の市営住宅が建て替えることになり、プレハブの行き場がなくなったんだ。

これじゃないかなと思う。こんな感じの建物だった。

プレハブ住宅の原点「ミゼットハウス」が発売50周年を迎えます|ニュースリリース|企業情報|大和ハウス工業

写真ふるっ!

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父は小学校の教諭だったので、夏休みは小学生の私と同じだった。
夏休みに入ったら、父と私で、家の土台作りがはじまった。固い地面を数十センチ彫って、穴あきブロックを2段に積み重ねて置く。まっすぐにするために、そして水平をとるために四隅に糸を張って、そのヨコにブロックを借り置きする。空気の泡(水平をはかる)が真ん中にくるように並べるのだが、これが簡単にはいかなかった。毎日毎日水平にするためにブロックを並べる作業。素人の作業なので、1週間以上そんなことをしていたような気がする。父の弟さんは大工だったので、(もっと言えば祖父は船大工だったらしい)ときどき仕事の合間に、家の土台づくりを見に来て、「これはだめだ、やりなおし」と何度もやり直しをさせられた。途中で雨が降ったりして、また変わってしまってやり直し。とにかく土台づくりに苦労した。

ようやく土台が出来たら、家の部品がトラックで運ばれてきて、あっという間に家は建った。大工の弟さんがいたのもあったが、たぶん数時間で建ったと思う。このとき私は「家づくりは土台なんだ!」と知った。すごい体験をしたと思う。

それからその家は私が18才になるまでびくともしないで建っていた。台風が来て床下浸水したときにも穴あきブロック塀の土台の下に水は入ったが大丈夫だった。

小学生のときに家を建てた人っています??
たぶん私くらいじゃないか?と自負してるんだけど。

あ、ドイツのミニミュンヘンにいったとき、小学生が家建ててたな・・・

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あの夏休み、汗だくになって土台を作った。今もすぐに心は飛んでいくことができる、鮮明な思い出だ。

猫に関するエピソード1〜大事なことはみーんな猫に教わった

私は猫好きである。
あまりに猫好きすぎて、カルカンのCMにも出演したことがある。

とある2月22日(ニャーニャーニャーで猫の日らしい)の猫の日のイベントにいって、その日のアンケートの「カルカンのCMに出演できますか?」という項目に丸をつけたら・・・。制作会社からアプローチがあって、なんとカルカンのCMに出演することになった。

そのときにスチールがこれ!(古いっ)
マルチレコーダーが・・・これは私の自宅なので。

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当時、ニュースステーションの時間などにカルカンのCMが流れたので、知り合いから次々電話かかってきたな。



この猫「たった」は、二子玉にあった「ねこたま」で行われた日本猫コンテストで準優勝したこともあった。(基本来場者人気投票のコンテストだった、芸はできないし)

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私は悩める20代後半のとき、猫に救われた。

「私はなんのために生まれきたのか?」
「私が世界に役立つことなんてあるのか?」ということを悶々と考え続けていた日々。

そんなある日、猫をみていて、思ったんだよね。猫なんてなんの役にもたたない(同じペットでも犬はとっても役立つのに)、役にたとうともしていない、ただ存在するだけ。それでいいんじゃないかと。

その頃この本に出会った。
All I Need to Know I Learned from My Cat
大事なことはみーんな猫に教わった

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本文もすばらしいけど、訳の谷川俊太郎さんの文章がすばらしい!!深い絵本である。

猫に着目したとたん、カルカンのCMも決まったし、不思議不思議。どんなことでも着目のしかた次第では、仕事に変わるんだよね。ちなみにこのCMで私は1日で10万円ものギャラ(当時貧乏音楽家だった私には本当にありがたかった)、猫はカルカン1年分をもらった。

招き猫って本当な気がする・・・。

おもいっきり性善説で生きてくよ!

この世に生まれたときから、いじわるな人なんていないと思いません?

へこむことがあったり、つらいことがあったり、きっとなにかの理由があって、いつのまにかいじわるになってしまうことがあるんじゃないかな。

みんな基本は優しくていい人ばかり。

私はそう思って生きている。

たとえば、どろぼうをしてしまった人も、お家に帰ったら誰かのいいお父さんかもしれない。

人を傷つけてしまった人も、もしかしたらどうしてもそうなるに至る、その人にとってはもっと深い傷があったのかもしれない。もちろんそんなことはしてはいけないし、ほとんどの人は、強い心で立ち向かって、そんなことにはならないんだけど。でも心が弱くなってしまうことは誰でもあるよね。


私は小学校6年のとき、クラスの女の子全員に半年間無視されるといういじめにあったな〜。そのとき私は、いじめるよりも、いじめられるシンデレラの方がずっと美しい、だから気にしない、と心に決めて乗り切った。

19才くらいのとき(たぶん生意気だったんだろう)すいぶん大人の大手音楽業界のおじさまに「あの子には仕事をさせるな」と業界で干されそうになったけど、「どうせ私の実力がまぶしいんでしょ!」「こんな田舎捨ててやる!」と私は東京に出ることにした。

ぜんぜんうらんでませんよ。私が強くなるステップになったし。

私はそうやって大人になって、もう出過ぎた釘になって、打たれることもなくなった。

これからも悪いなとおもったらあやまり、あなたが悪いよと思ったらその人に正直に告げ、そんなふうに、まっこう勝負で生きていきたい。

秘密はあるけど(笑)、裏表はない。いやだったらいやというけど、ごめんね。
すごくすてきじゃないとなかなかほめないけど、その方がいつも社交辞令でほめているより、ずっといいでしょ?

猫はほめない、こびない、だから好き。

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コミュカフェ5 きになるお金の話〜6月18日シェアリーカフェ視察見学会するよ!

市民活動やまちづくりをやっている人ならわかると思うが、私たちのようなNPO法人は黙っていても協賛や寄付が集まる、会員が増えて会費収入でなんとかなる、、、なんてのは幻想だ。

I Loveつづきは、設立当初11人いた理事みんなが、ものを出し合い、数回フリマを開催し、こつこつ貯めた6万円を設立資金としてスタートした。

その後ずっと、1.助成金 2,協賛金 3,委託事業 4.会費と会員からの寄付 などで運営してきて、カフェを運営するまではいわゆる事業収入というものが皆無だった。

もともとサークル活動からスタートし、最初の数年は「持ち出し」で活動し、その後「必要経費(材料費や交通費、賄い費)などが出るようになり、人件費がでるようになるまで5年はかかった。しかし最初は、みんなで話合い、NPOが赤字にならないように決めた1日最大3000円、最小500円という、人件費とはいえないざっくりなもので、働くという観点から言えばブラック、「仕事」というにはほど遠いものだった。

でも私たちはそれよりも、自分たちがやりたいことをするお金が欲しかった。

みんなががんばって仕事をして少しづつ貯まった「繰り越し金」で毎年NPO内コンペをするようになった。
各個人が企画をだし、みんなで話合い、どの事業を自主事業でやるか決めるのだ。

2009年に経済の新たな担い手事業助成金をいただき、「経済」の分野の勉強をして、テレワーク、在宅ワーク関連の事業を本格的に行い、そこそこの繰越金が貯まっていた頃、カフェをやろう、ということになった。最初に想定した工事&準備資金は400万円。でも実際には500万くらいかかってしまった。(什器、キッチンも含めてるからそれでも格安)。
カフェ運営の本を読んだり、お店をやっている友人にヒアリングしたりしながら予算計画を練った。売り上げの30%が材料費、30%が地代光熱費、30%が人件費、残り10%は修繕とか思わぬ経費がかかるから残しておく。そう、本には書いてあった。だから・・・。

私たちのカフェはとにかく広い!!187㎡あり、立食で最高150人まで入ったことがあるスペース。目標はいつも高く持つ私たちなので、席数60人だからそれが2回転するから来客は1日120人。客単価は500円として6万円。稼働日は月に24日だから144万。そんなもんだろ?
大家さんであるハウスクエアと協議し、連携するという契約で、家賃を大幅に下げてもらった。売り上げ目標は月160万とし、それを超えるようになったら家賃を上げる、という契約を交わした。

ハウスクエアの従業員さんは毎日500人〜700人来ているから、きっとその方達がつかってくれるだろう、だからなんとかなる、そんな計算もあった・・・・でも・・・。

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現実は、そんなにうまくいかなかった。
お客さんは多い日で60人くらいはなんとか・・・。
でも少ない日は、本当に来ない!(いままで2年間で最小で5人という日があった!)

よい食材でおいしいランチを出したいという気持ちはありありなのだけど、ランチは1000円で出して1000円がなくなるといってよい。まったく儲けにはならないのだ。

だから現在は、オフィス会員の方の利用(講座や会議などの利用)に力を入れ、その環境を快適にしたいと、いう方向性にシフトしている。おかげさまで、会員数は30組くらいになり、毎日なにかしら講座が開かれていたり、ここで仕事をする人達がいたり。

最近はケーキにも力を入れていて、自家製のケーキもある、おやつのおいしいカフェになりつつある。

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地元産のレモンでつくる、レモンパイとレモンケーキ!



今年度事業として
レンタルボックス(仮称)をスタート
・キッチンを含めたカフェスペースの貸出
・カフェ主催講座や交流会の充実
を計画している。

もっと詳しく知りたいですよね・・・きっと。

そういう方のために、シェアリーカフェ視察会を行うことにしました!!
★6月18日(土)10時半〜13時 カフェ視察会(ランチ付き)3000円 定員20名
コミュニティカフェの運営を知りたい、NPOで運営することの工夫なども知りたい、企業とのコラボについて知りたい・・・など。ここではかけないぶっちゃけ話をします。具体的な売り上げの数値などもこっそりお教えします。
ぜひおはやめのお申し込みを!
お申し込みはこちらへ!!

shairly.com

思うだけじゃ伝わらない!アクションを起こせ!

先日ブログに書いた「チビッコ猛語録」の影響もあったのかもしれない。

早熟なこどもだった・・・私がもっとも影響を受けた発禁図書「チビッコ猛語録」 - 音楽とまちづくり〜やっちゃえ!ジブン

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中学に入る直前。小学校6年の卒業式のときの記念写真。一番右の先生のとなりのちぴっこが私!


私の行っていた中学は、名古屋で最低の成績の学校だとうわさされていた。たぶんほぼ事実だろう。

校庭の裏にはシンナーがはいっていた袋が落ちていたり、教室で授業中に傘をさしてたばこを吸っている子がいたり。でも先生が、生徒をこわがっていて、見て見ぬふり。先生が生徒の暴力にあい、学校に来なくなったことが、私のいた3年間で2回も起きた。

そのくせ、校則はきびしくて、白い靴下に白い紐靴でなけければいけないといわれ、やぶると朝会で、前に出て先生にビンタされた。その先生の口癖は「オレはビンタで生徒の鼓膜を破ったことがあるんだぞ!」

先生は狂っていたと思う。いまでは考えられないよね。

中2で同じクラスの女の子が学校に来なくなり、街であったら、赤ちゃんを抱えてて、びっくりした。14才で妊娠、出産。相手は30才のあぶない職業だと聞いた。あまりに大人になってしまった彼女に、私は話しかけられなかった。

私自身は、そんな中学でもなんとか耐えていた。でも私には2つ下の弟がいて、彼には受験して違う中学に行って欲しかったので、母と私で説得したんだけど、結局同じ中学に入ってきてしまったんだ。

弟を守るために、なんとか変えなくてはならない。先生は誰ひとり信頼できなくて相談もできない!

悩んだ末に私は、中日新聞の社会部に匿名で手紙を書いた。必死で原稿用紙数枚にきびしい現況を書き、学校をなんとかしてほしい、と書き綴った。

それは効果があった。

中学は慌ただしく変わっていった。まず校長先生が途中で変わり、新しく来た校長先生は、朝礼で「学校をよくするために力を尽くす」と述べたのだ。その先生は、お昼に校庭で炊き出しを始めたりと、変わった人だったけれど、私が卒業したあともがんばっているらしかった。

新聞社に投稿したことは、両親以外の誰にも言えなかったが、アクションを起こすと変わる・・・ということを中学生で知ったのだ。

いまだったら、証拠写真なんかもすぐに可能だし、SNSやブログでの暴露とかなんだろうな〜。


あのときの社会部への手紙、読めるものなら読み返してみたいなあ。
それを読み、学校にアクションしてくれた中日新聞の方に感謝もしたいな。

 

やりたいことをやり、なりたいものになれ!

どうして音楽を仕事にしたのかって?

最初のきっかけは、小学1年生くらいのときだったと思う。コンサートにいって胸躍る気持ちになり、聴くだけではなく、自分がステージの上にあがって楽しむ側になりたい、と強く思ったからだ。

それからわずか4年後、小学5年生で、私は音楽の仕事をしはじめていた。

土日には、松坂屋や中村(名古屋なので)デパートのイベントによばれて、デパート店内で演奏したり。東海銀行のフロアで1日数回演奏したり、納屋橋ヤマハで演奏したり。
イベントチラシなどに「ちぴっこ演奏」とか書かれてたな?
さらには、岡崎市犬山市、富山や金沢まで出かけて、ヤマハの発表会でゲスト演奏した。こどもなのでギャラは図書券やレコード券、ときにはモロゾフのチョコレートだったけどね。

普通にヤマハ音楽教室にかよっていたんだけど、気が付いたら、同期の友だちがまだグレード9級とか受けているときに、私は6級の試験を受けたりでクラスが合わなくなり、いちばん難しい年上もいるクラスに入り、さらにオーディションにうかって、ヤマハがはじめたばかりの作編曲コースに入って英才教育を受けた。

そんなにがむしゃらにやった覚えはない。
ただ、好きだから練習したり、勉強したりしてただけ。
毎日ボールが見えなくなるまで野原を駆け回るこどもだったから。

小さい頃からクラシックをそのまま弾くというのが嫌いで、いわゆるピアノの発表会には一度もでなかった。

自宅の近くでピアノを習っていたんだけど、ピアノの先生に発表会はでない、とはいいずらいので、毎年、発表会前日になって熱を出したと連絡し、ドタキャンする、本番に弱い子、となっていた。
嘘をついてごめんなさい。実は出たくなかっただけだ。

私はそのころもう、ステージで演奏しまくっていたから、人前で演奏するのになれていたけど、発表会はいやだった。
「楽譜に書いてあるとおりに間違いなく演奏しなくてはいけない」
「自分の好きな服をきて演奏できない」
「ステージにピアノとお花くらいしかなくて、照明も真っ白で楽しくない」
を理由に、両親には私はそういうところでは演奏しない、と論破した。
私はホットパンツにブラウスで、毎回違う演奏をしたかったんだ。
自分のつくった曲を演奏し、聴いて欲しかったんだ。

合歓の郷三重県)にあった、そのころ日本に1つしかないポピュラーの音楽院に行こうと考えてたが、時期尚早だったのかその学校は無くなってしまった。しかたなく?音大の作曲に行くことにして、またクラシックの勉強に戻り1浪して、愛知県立芸術大学の作曲科に入学した。

名刺に「作編曲家」と書いた瞬間から、私は作編曲家になった。

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仕事部屋。マウスが左なのは、右手は演奏に使うことが多いから。音楽の仕事ではマウスは左遣い。



資格なんてない。いくらヤマハグレード3級ですとか、愛知芸大に行ってたとかいってもそんな人はたくさんいる。自分の作品をダビングして持ち込み、聴いてもらったり、編曲した楽譜を持ち込んで営業した。

私の仕事の方針は
「いま自分にできる最高を目指します!」
ということで、具体的には
「クライアントと自分が満足いくまで、やり続ける、何度でも直す」
なのだが、そこに「自分の満足」をいれたのは、自分らしさをどのくらい、その中にスパイスとしていれられるかということが、私にしかできないことを売る、ということで、とても大事だと思っている。

それから、自分がクライアントだったら、同じくらいのレベルの仕事ができる人がいた場合、気持ちよく楽しく、ストレスなく仕事できる人とやりたいと思うのは当たり前だから、
「納期はぜったいに守る」
「楽しく明るく仕事場をもりあげる」
をポリシーにしてきた。


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さて、そろそろまちづくりの仕事を名乗っていいんじゃない?
まちづくりを本格的に仕事にしたいなあ。まちの企画を考えるのが大好きなので、コンサルティングやアドバイザーの仕事がしたい。

やりたいことをやり、なりたいものになるんだ!!

名刺は・・・どんな肩書きがいいかな?

早熟なこどもだった・・・私がもっとも影響を受けた発禁図書「チビッコ猛語録」

私がもっとも影響を受けた本

それは「チビッコ猛語録」である。
デンマークからやったきた本で、近所の本屋さんに平置きされて話題になっていた、と思ったらすぐに発禁図書になった。でも本好き、新しもの好きの我が家では、母が購入したものが家にあったのだ。

すごい目次・・・・
第一章 なにをどうして学ぶのか?
第二章 レッスン
第三章 宿題
第四章 先生
第五章 学校での罰則
第六章 生徒・友だち
第七章 インテリジェンス
第八章 成績
第九章 自由時間
第十章 セックス
第十一章 刺激剤
第十二章 体制・キミの場所

で。。。とくに小学生の私には、第十章、第十一章がすごくて。
性教育はこの本さえあればOKだったな。しっかりと書いてあってわかりやすかった。
で、第十一章に至っては、どんなドラックがあぶないか、あぶなくないか、がていねいに書いてあって、私はそれを知っていたから、「それほど」は悪い道にいかなかったんだと思う。

とにかく衝撃で、これを読んだあとは同じ小学生のトモダチと話す会話が幼稚に思えたっけ。

調べたら、なんと!!横浜の図書館の蔵書でみつけたので、数年前に取り寄せて、ひさしぶりに読み返した。いま見たらなんとアマゾンで売ってた。当初の3倍〜4倍の値段だけど。。。やっぱ自分的にバイブルだから買おうかなあ。

アバンギャルドな生き方をしたい、と、この本を読み、早熟だった小学生の私は思ったのだ。私のような生き方をしたいおこさま?にはおすすめしたい本である。

*この本の愛読者に一度も出会ったことはないのだが、もしもいらっしゃったらぜひ教えてほしい・・・・

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